ぼくの古郷のエリアではネット局がなく
毎日午後4時から時間差で録画放送され、
増刊号に至っては1週間遅れで土曜日のお昼に放送される
と言う、今思うとちょっと不思議だけど今よりちょっとウキウキしていた頃のお話。
平日は授業がおわると急ぎ足で帰宅しておやつを食べながら観たり
土曜日は一週遅れの増刊号をみながらお昼ごはんを食べる。
毎日全部見れるのは夏休みや冬休みだけでそれでも始まった頃は
東京ではこれが毎日お昼にやっていて皆それを観ているんだなー
と何故だかちょっとあこがれもした。
地元にある有名なジャズ喫茶にタモリが来た!と言うウワサが流れたり、
一関ってところに行ったときに目の前で木にカミナリが落ちたなんて
荒唐無稽な話をテレビで言ったとか言わないとか。
その頃は調べようがないから、
僕たちの中ではタモリはジャズ喫茶に来た時に木にカミナリが落ちるのを目撃した、
なんて事になっている。
時を同じくして、サッカーに目覚めたぼくは最先端のSONYの"ベータ"という録画機で
サッカーの試合を録りためるようになる。
とは言っても今のように海外サッカーの中継があるわけではないので
高校サッカーとかトヨタカップとかそんな感じ。
余談ですが奇しくもタモさんもベータ派
1985年の高校サッカー(第63回全国高等学校サッカー選手権大会)の決勝戦、
『帝京高校 対 島原商業』はぼくの中ではバイブル的な試合になった。
その試合を録画してからと言うもの毎日観戦する事になる。
特におきに入りのシーンは一時停止、再生を繰り返しテープがすり切れるぐらい観ていた。
0-1島原商業のリードで向かえた後半、帝京はゴール前でFKのチャンス、
島原商業のGKは植村、大会屈指のGK。
FKを蹴るのは帝京キャプテンDFの岩井、前年に比べると小粒でエースもいない
(帝京高校 小沼監督談)チームをまとめあげた帝京の大黒柱。
『(蹴るのは)岩井です、シュート、入った!
入ったゴォォーール!スーパーゴール同点!帝京高校同点!』
実況席が騒ぐ中、スローの映像で岩井のシュートが島原商業の壁の股間と
GK植村の手をわずかにすり抜け直線的に右隅に決まる映像が流れる、
岩井は一差し指を天高く掲げ帝京イレブンは団子のようにひとつになる。
歓声につつまれる国立競技場。ついに帝京が同点に追いついた。
ある日夕方4時過ぎ、毎日の自主練習をおえ帝京対島原商業の試合を観る。
(当時サッカーチームがなかったのでイシー少年は中学入学まで毎日自主練習をしていました)
いつもと変わりなく岩井の同点ゴールのシーンを観戦していた。
すごいなGK植村の手をかすめた後はポストに当たってゴールしてるんだな。
などと得意げに慣れた手つきでベータの一時停止ボタンを押す
(当時の録画機にリモコンなんてない)
それを繰り返すうち一度だけ誤って一時停止ボタンと
横にある録画ボタンを間違って押してしまった。
あわてて停止ボタンを押すも時既に遅く、
大事な岩井のゴールシーンに夕方オンエアされていた"笑っていいとも"が数秒
(もしくは数フレーム)が上書きされてしまったのである。
『岩井です、シュート、入った!入ったゴォォーール!***ホントあがるんだよね***帝京高校同点!』
『スーパーゴール』に代わってタモさんの『ホントあがるんだよね』
が見事にスーパーインサート。
タモさんが何に対して『ホントあがるんだよね』
は今になっては知る由もないのだけれど、
テレフォンショッキングのゲストと談笑している
真ん中分けの黒サングラスのタモリがそこに居た。
あーあ…
タモリインサート事件以降もめげずに毎日その試合を観つづけた結果、
もういい加減それが普通になっていた。
岩井の同点ゴールのあとはタモさんの『ホントあがるんだよね』
という絶妙なタイミングのインサートはもう最初からそういうシーンなのだ、
もはや違和感すら感じない。
結局のところ帝京高校と島原商業は延長でも決着がつかず両校優勝、
笑っていいとも!はその後29年も続くモンスター番組になった。
その後、毎日のように観ていた高校サッカーも時が過ぎ、時代はベータからVHSと移り変わり、
いつしか観る事もなくなった。
半年前、いいとも終了のニュースを聞いたとき
不意にタモさんの『ホントあがるんだよね』という数秒の映像が頭の中によみがえった。
脳に焼き付いてる笑顔のタモさんは今のタモさんと変わらないのだけど
ベータのカセットの中のあの数秒のタモさんはあの"タモリ"のままなのだろう。
家族にも友達にもまだ話していない
ぼくとタモさんの数秒間の想い出。
イシー商店 本名 石井克典 昭和47年生まれ
全日本(現日本代表)の試合をたまたま観たのがきかっけでサッカーを始める
(キャプテン翼はその後で愛読するが順番的には全日本の試合の方が先、
ちなみにキン肉マンよりもプロレススーパースター列伝の方が先)
サッカー選手になりたいな、と思うも当時はプロがなかったのであきらめる
中学時代はサイドバック、
高校時代は守備的MFとセンターバック&サッカー部、部長を勤め
県大会ではベスト16と微妙な結果に貢献
当時からチームのユニホームのデザインしたり、毎日の練習着にもオシャレを気にしたり
しているうちにファッションに興味をもつ事に
大学生当時、新宿のアルタ前にて笑っていいとも!のオープニングに数秒映る事に成功
現在に至る
Comment
コメントする